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図録番号397 タイトル:舟頭と陸蒸気

最終更新日:
 
397
(解説文要約)
明治の中ごろから、石炭を運搬するために鉄道が次々と開通しました。
鉄道が急激に開通する中、それまで石炭の運搬を担っていた川船舟頭は、次々に仕事を失います。
明治28年頃から、舟頭から採炭夫へと転職した者が多くいたそうです。
この炭坑記録画には、嘉麻川の芳雄鉄橋を走る機関車を恨めしく見つめる舟頭の姿が描かれています。

 
 
 
With the introduction of railways as a means to carry coal in the 1890s, boatmen became obsolete. 
Around 1895, many changed occupations from carrying coal via the rivers to working in the coal mines.
In this picture, you can see a boatman staring at a steam locomotive crossing Yoshio Iron Bridge over the Kama River with resentment.
 


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