福岡県田川市トップへ
LINE
Instagram
X
Facebook
文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

昭和の筑豊、そして閉山へ

最終更新日:

1940年(昭和15年)、太平洋戦争開戦前後の増産運動により、全国5,631万トン、筑豊2,049万トンと、史上最高の出炭量を記録します。

この年、山本作兵衛翁は日鉄二瀬(ふたせ)出張所稲築坑(現嘉麻市)から、位登炭坑(現田川市)へ転坑し、生活の場を田川へ移します。

戦争が激化するにつれ、石炭の増産が重要課題となる一方で、若い労働力が戦争にとられるという矛盾が生じた中、熟練の技術者として、作兵衛翁は位登炭坑の経営を支えます。

終戦後、日本復興のエネルギーとして石炭が重要視され、筑豊の炭坑も息を吹き返しますが、昭和20年代から始まったエネルギー革命や石炭不況の影響で、筑豊のヤマは次々と閉山していきます。

作兵衛翁が在籍した位登炭坑は比較的小規模なヤマであったため、1955年には閉山してしまい、それに伴って、作兵衛翁の約半世紀に渡る長い炭坑生活も幕を閉じました。

昭和30~40年代、ヤマの灯が消えゆき、ボタ山などのかつての風景が失われていく中、作兵衛翁は筑豊炭田の記憶を後世へ残そうと筆をとり、炭坑記録画の制作にとりかかったのです。

 

炭坑記録画 「太平洋戦時中の出炭・増産」

 

※このページは、広報たがわ平成23年9月1日号に掲載された内容を基に作成しています。

広報たがわ平成23年9月1日号別ウィンドウで開きます

このページに関する
お問い合わせは
(ID:821)
ページの先頭へ

法人番号:7000020402061
〒825-8501  福岡県田川市中央町1番1号
電話番号:0947-44-2000(代)0947-44-2000(代)   Fax:0947-46-0124  
【開庁時間】 午前8時30分から午後5時まで(土・日・祝日・年末年始を除く)
※毎週木曜日は市民課窓口(各種証明書発行)のみ午後7時まで時間延長
© 2023 Tagawa City.