倉ヶ原遺跡は下伊田遺跡群とも呼称され、国道201号線と県道22号田川直方線が交差する標高約38mの台地上に立地します。
これまで1987(昭和62)年と2022(令和4)年の2回にわたる発掘調査を実施し、弥生時代の集落跡と奈良時代の遺構を確認しました。
〇確認した遺構・遺物
弥生時代 前期後半から後期前半頃(約2,300年から1,900年前)の集落跡
竪穴建物跡(平面形:円形・長方形)、掘立柱建物跡、貯蔵穴跡・土坑跡を確認
弥生土器(壺・甕など)、石製品(石庖丁・磨製石斧など)、青銅製品(鋤先)が出土
奈良時代(約1,300年前)
掘立柱建物跡を確認
須恵器が出土
1次発掘調査状況
2次発掘調査状況
当遺跡を含めて下伊田・糒地域の丘陵に立地する各遺跡は、昭和時代初期頃(1930年代)には知られており、考古学者森貞次郎氏が学会で紹介
されています。丘陵上から出土する弥生時代前期の土器は「下伊田式土器」と呼ばれ、北部九州の弥生時代研究の重要な資料となっています。
倉ヶ原遺跡から出土した弥生土器
また、古代は掘立柱建物跡を3棟以上確認しました。
建物の軸は南北を意識した造りで、出土した須恵器から奈良時代の8世紀中頃から後半頃と考えられます。
この遺構は築かれた立地や建物の配置から田河郡の役所である『田河郡衙』や、平安時代に編纂された『延喜式』の記載から『田河駅』に
関わるものと考えられます。
掘立柱建物跡想定図