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ふるさとの記憶~田川の伝説や民話~

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■ 小督局(こごうのつぼね)の供養塔

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成道寺には「平家物語」にも登場する悲劇の女性、小督局の墓と伝えられる7重の塔が残っています。

宮中一の美女といわれ、琴の名手でもあった小督局は高倉天皇の寵愛(ちょうあい)を受けていましたが、ある時、時の実力者平清盛の恨みをかい、宮中を追われる身に。小督は最初尼になり、嵯峨野に隠れていましたが、そこも身の危険を感じ、ついには太宰府に住む縁故を頼って九州へと向かいました。

旅の途中、香春を過ぎたところから雨が激しく降りだし、増水した川を渡ろうとしていた小督は危うくおぼれそうになります。すんでのところを村人に助けられた小督は成道寺に逗留(とうりゅう)することになりました。

しかし、慣れぬ旅の疲れと心労から、小督はとうとうそこで病に倒れ、村人たちの手厚い看護のかいもなく、25歳の若さでこの世を去ったのでした。七重の塔は小督の身を哀れんだ当時の郡司によって建立されたものだと伝えられています。

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鳴かずケ池(なかずがいけ)

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弘仁年間(810年~824年)のこと。成道寺の本堂で伝教大使(最澄)が参禅修行されていた際に、本堂左側にある池でカエルがやかましく鳴き、大師の修行を妨げました。大師が池のカエルをしかったところ、それ以後、この池ではカエルがまったく鳴かなくなったため、「鳴かずケ池」と呼ばれるようになりました。

また、この成道寺、応永年間(1394年~1428年)に寺が戦火で焼かれた際に、釣り鐘がこの池に投げ込まれてしまいます。水位が下がる日照りの年をみはからって、幾度も引き上げようとしたものの、竜頭の部分まで掘ると、なぜかきまって大雨が降り、水かさが増してどうしても引き上げられません。それ以来、村人は干ばつの年になると、わざと池の水を干して鐘の竜頭が見えるところまで掘り、雨を降らせたといいます。このことから別名「雨ごいの鳴かずケ池」とも呼ばれます。

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大浦池(おおうらいけ)

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徳川四代将軍家綱の治世時代、延宝年間(1673年~1681年)のこと。弓削田の人々はうち続く干ばつに苦しんだ末、長い年月をかけて大きなため池を掘りました。ところが、不思議なことにいくら雨が降っても、池には一滴も水がたまりません。これは龍神様のたたりと、人柱を立てることに決めたものの、自分から進んで名乗りを上げるものなどだれもいはしません。その時、庄屋の養女のお浦が「長い間育ててもらった恩返しに私が・・・」と言い出したのです。

こうしてお浦が池に身を沈めた翌朝、池にはあふれんばかりの水がたまっていました。それ以後、村人はお浦への感謝の気持ちを込めてこの池を「大浦池」と名付け、めい福を祈ったといわれています。

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