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平和の樹(長崎被爆三世柿の木)レポート

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平和の樹(長崎被爆三世柿の木)レポート~平和の波紋を田川から~

1945年8月9日午前11時2分、長崎に投下された原子爆弾は一瞬にして全てを焼きつくし、そこに生きる人々の運命を大きく変えてしまいました。そして一本の柿の木の運命をも変えてしまいました。
あの夏の暑い日が、平和でおだやかな一日であったならば、町中にある見なれた柿の木として、行きかう人々に季節のおとずれを伝え、あざやかな柿の実を子どもたちに与えながら生きていたのでしょう。しかしその身は灼熱の炎によってまっ黒に焼けこげ、そのまま戦後50年を生きぬくことになりました。
1994年、その木は樹木医である海老沼正幸(えびぬま・まさゆき)さん(長崎市)によって手当てを受け、ふたたび実をつけることができたのです。その種から生まれた新しい命は、被爆二世柿の木として恒久平和の願いをこめて世界中におくられ、平和の波紋を広げています。
2008年5月2日、その波紋は「平和の樹(長崎被爆三世柿の木)」として田川市にとどきました。この三世は長崎で被爆された川内七雄(かわち・ななお)さん(苅田町)が育てた二世から生まれ、同じく長崎での被爆者である駒鳴秀光(こまなき・しゅうこう)さん(大任町)に引きつがれ、田川市へおくられたものです。
今もなお生きつづける一世、世界中でのびゆく二世、そして田川市に根付いた三世。ことばを持たない彼らは、ただ静かにたたずみ、なぜ平和のシンボルとしてここに立つことになったのか、そして人が人として、柿の木が柿の木として平和な一生をおくるために、人は何をすべきなのかを問いかけているのだと思います。
平和の樹(長崎被爆三世柿の木)は、現在田川市民会館の中庭で元気に育っています。夏の日照りと乾燥は柿の木にとっては大敵ですから、今が一番大変なときです。まだ小さな苗木ですが、どうかあたたかい目で見守ってあげてください。そしてその姿から感じたことを次の世代に伝え、皆様の手で平和の波紋を広げて下さい。


2008年8月9日

 

▼H20.5.2平和の樹(長崎被爆三世柿の木)植樹式 (田川市民会館中庭にて)

写真1

 

▼こんなに大きくなりました!
写真2 

▼夏の日照りと乾燥は大敵!遮光ネットで守ります★
写真3

▼虫食いに注意!! 
写真4 

▼今も大きく成長中。がんばって夏をのりきります!
写真5

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